誰もが、誰かに必要とされたいと思うものです
しかし、その感情がネガティブな方向に傾くと、自分は「誰からも必要とされていないのではないか」という不安や孤独感につながってしまいます

このような不安や孤独感を抱えている人は、少なくないのではないでしょうか
視野が狭まっているので、自分を見失いがちです

そんなあなたに、知っておいて欲しいことがあります

誰からも必用とされていない

「誰からも必用とされないと感じるのは、
隣に誰かいないことに意識が向いている時」

孤独を感じていて、どちらかと言うと、単に寂しいと感じている状態の方が適切ではないでしょうか?

・愛し合う誰かや
・分かり合える誰かや
・理解してくれる誰か

そういった「誰か」が隣にいないと感じたときに、孤独を感じ、必用とされていないと勘違いします

必用な人なんだよ

カウンセリングや、より良いライフスタイルを提案する人たちが、世の中に「必用ない人なんていない」といった主張をします
私自身も発信してきましたが、しっくりこない点がありました

「誰からも必用とされていない」と感じている人にとって、もっともらしい理由を並べて、だから必用ですといったアプローチをしても、伝わりにくいのではないかと感じていたからです

しかし「必用とされていない」と「寂しさ」を分けて考えると案外腑に落ちます

単に、隣に誰かがいないことに意識が向いている状態と、必用かそうでないかは全くの別問題だからです

世の中の大半は必用とされない人

残念ながら世の中の大半は必用とされない人です
それは価値がないとかそういった類の物ではありません

誰をベースにしているかで変わるからです

私をベースにした場合、情報発信をして、いいねやコメント、メッセージのない人は必用としない人です
勘違いしないで欲しいのは、そうしてほしいとか、嫌な人といった意味ではなく、存在そのものを知らないからどうしようもないのです

考えてみてください

どんなに影響力のあるインフルエンサーや、どこかの国の要人だったとしても、知らない人は沢山います
知らないのだから必用とするわけがありません

また知っていたとしても、自分に必用かどうかはその人が決めます

そう考えると、世界中に多くの人が存在しますが、自分を起点として考えた時、殆どが必用としない人になります

必用より知るが先

自分にとって必用だと判断するとき、先に相手を知っているといった大前提があります
この大切な部分を飛ばしている気がします

先ほどのいいねやコメント、メッセージなどで説明すると、そういったアクションを取ってもらうことで、私はあなたの存在を初めて知ります
知ってからその人が作ったコンテンツや意見を見て、有用なものであると判断すれば私にとっては必用な人となります

そもそも知らないのに必用か不要か判断出来るわけがありません
「誰からも必用とされていない」と感じている人は、まずは、全世界の人から知られている人なのでしょうか?

誰からもと言うのは、全世界の人から知られた上で、といった意味になるのではと思います

多くの人が「自分は誰からも必用とされていない」と悩んでいると思いますが、少なくとも私は、どこの誰がそうやって悩んでいるのか知らないので、必用とも、不要とも言えません

知りもしないのに、私も「誰からも必用とされていない」の中の「誰か」に含まれているのでしょうか?

必用 不要って?

「誰からも必用とされていない」と感じている時、具体的に、誰にどういった項目で必用とされていないのでしょうか?

私の大親友が最近マラソンを始めました

しかし私はマラソンをしないですし、マラソンの情報に関して大親友は不要です
だからといって存在そのものが不要といったわけではなく、むしろ必用な存在です

近所のコンビニの店員さんは、会計をしてもらう時には必用です
しかしそれ以上の事は知らないので不要です

そんな風に考えたとき、誰もが、必用な部分と不要な部分の両方を兼ね備えているといった事になります

必要性を感じるのはあくまで相手

他人の感情はコントール出来ません
これを大前提として考えたとき、相手が必用と感じるかどうかは相手次第です
内容そのものではなく、タイミングまで考慮されるのですから、もはや合わせられる方が奇跡です

私はウェブサイトを作成しますが、ウェブサイトを必用としていない人に、いくら丁寧に説明しても必用とはされません
しかし同じ人であったとしても、お店や会社を立ち上げて、ウェブサイトが必用となった時に丁寧に説明すると必用とされます

それは「誰からも必用とされていない」のではなく、偶々、自分の持っているスキルを必用としている人と、めぐり合っていないだけといった事です

部分的なスキルのことであり、「誰からも必用とされない」と大きなくくりにしてしまうのは、乱暴な気がします

環境でがらりと変わる

「誰からも必用とされていない」といったネガティブな感情を抱くとき、偶々その環境が適していないだけといった事は多々あります
恐らく原因として、家庭、学校、会社などでネガティブな事が重なったときに、それがトリガーとなるのが多いのではないかと思います
最近だとSNSも同様かも知れません

小さなコミュニティで、嫌われたとか、相手にされなかったとか、傷つけられたとか、始まりはとても小さなものだったのではないでしょうか?
その小さな出来事を、頭でリピートして成長させているうちに、気付けば「自分は誰からも必用とされていない」といった妄想を作り上げていったのではないかと思います

相手をコントロール出来ないことや、タイミング、などに加え「属性」と言ったものも関係があります

自分自身は何も変わっていないにも関わらず、環境(属性)が違うだけで、ものすごく必用とされたり、大して必用じゃなかったりします

同じ情報発信であったとしても、AといったSNSでは人気なのにBだと見向きもされないといった現象があるのは、この環境(属性)の部分が違うからです
プラットフォームを乗り換えただけでブレイクしたような人は沢山いますし、転校や転職で人生を変えた人も沢山います
もし医者だったとして、優秀な医者が沢山いる大きな病院に勤務し、あまり必用とされていないと感じていたとしても、同じ人が、医者が1人もいない地域に行くとものすごく必用とされたりするのと同じです

これはその人に問題があるとか、価値がないのではなく、ただ環境(属性)が適さなかっただけといった事です

解決策が違う

もしそこから抜け出したいと考えるなら目指す結果により解決策は異なります
「自分は誰からも必用とされていない」といった感情が寂しさから成り立つものであれば、「誰か」に依存しなくても自立出来る自分を作っていくか、積極的にコミュニティを探していくのが解決策になります

スキルを発揮したい、魅力を伝えたい、注目されたいといった欲求から生まれる「必用」といった事であるならば、自分がどうかよりも需要をリサーチし重要視するのが解決策となります

漠然と感じる「自分は誰からも必用とされていない」といったことも、何がどうなればいいのかといった結果により、今やるべきことが大きく変わります

必用とされなくても問題ない

「自分は誰からも必用とされていない」と感じてしまう人は、必ず誰かに必用とされないといけないと感じているのではないかと思います
それも目に見える「必用」だけを追っているように感じますが、そんなに大切な事なのでしょうか?

確かに誰かに必用とされることは心地よい事かも知れません
しかし、全ての衣食住を放棄して生きている人は存在しません

・今着ているもの
・今食べているもの
・今住んでいる所

全てにおいてそれに携わる人がいます
その人たちから見たらお客さんであり絶対的に必用な人です

電気やガス、水道も同じで、無意識に使っているだけで、それに携わる人からしたらとても必用な人です

目に見える「必用」は知っていることが大前提と説明しましたが、生きているだけで、見えにくい部分では十分に必用とされています

どんなに優れたサービスであったとしても、お客さんがいなければ成り立ちません
1人のお客さんを獲得するために多くの人が知恵を絞り、やっと獲得するものです
それは金銭的な物だけではなく、誰かの満足や生活、新しいチャレンジやわくわくした気持ちなど多くの物を与えています

見えにくいだけで、十分に必用とされているのです

それ以上はあってもなくても良いと思いますし、長い人生で、目に見える「必用」を実感させられるタイミングもあれば、そうでもないタイミングもあるといった事を、知っておいても良いのではないでしょうか?

存在するだけで十分

誰しも赤ちゃんを体験しています
何かのスキルどころかわがままで、自分で食べることも出来ません
それにも関わらず大切にされています

今生きているだけで、衣食住で既に誰かに必用とされています

不慮の事故や突然の病気で、生死の境をさまよっている時、一番望まれるのは、どんな状態であれ「生きていて欲しい」といった事だと思います
仮に「自分は誰からも必用とされていない」と感じている人であったとしても、医者や看護師、周りの人は存在を継続させるように頑張るでしょう

そこには多くの人が直接的にも間接的にも関わってきます

そこまでして存在させようとするのは、人が存在する事にそれだけの価値があるからです

何かが出来るとか、何かを持っているのような、目に見えるものとは比べ物にならないほどの、価値や可能性を秘めているのが「存在」です

今何かで必用とされているかどうかなんて、どうでもいいくらいの価値です

生きているといっただけで、そんな価値あるものを既に持っているのですから、あとはおまけ程度に考えても良いのではないでしょうか?

ひとりくらいいなくなっても

ネガティブな時は、ひとりくらいいなくなっても世の中は変わらないと感じると思います
結論からいうと変わらないでしょう
すぐに誰かが穴埋めをするだろうし、新たな形は出来上がるものです

しかしこれはどんなに凄い人であっても同じです
要職に付く人や影響力がある人であっても必ずいつかはいなくなります

それで世界が大きく変わるかと言えば、変動はあるものの案外似た形に戻ります

ひとりくらいいなくなっても世の中は大して変わらないのは、誰であっても同じ様なもので、それと自分のネガティブを結び付けるのは得策ではないと思います

ひとりくらいいなくなっても世の中は大して変わらないけども、そのひとりが混ざりあって、世の中を作り上げ運営し、どこかの誰かに影響を与えているのも事実です
今の世の中を形成出来るのは今生きている人だけであり、変えていけるのも今生きている人だけです

ひとりくらいいなくなっても世の中は大して変わらないけども
そのひとりがいることで世の中が大きく変わることはあります

どうしても、目に見える「必用」が欲しい時は

必用とされたいと感じるのは人間の本能です
見えない部分ではなく見える形で必用を感じたいと思うのなら、簡単に出来ることをやってみると良いのではないかと思います

ボランティアや自分の知識をアウトプットがてら情報発信してみるなど、自分がどうかというよりも、誰かの為にといった時間を取ります
どうしても自分中心で自分がどうかばかり考えがちですが、だからこそ、誰かの為に自分から目に見える形にするのもいいと思います

自分の事で頭がいっぱいの人は沢山います
誰かの為に与えることの出来る人は、他から必用とされます

人は自分にとって、何かを与えてくれる存在でないと必用を感じにくいからです

だからこそ、どうしても目に見える「必用」が欲しいと感じたなら、
自分から目に見える形の「提供」をする必要があります

難しい事をやらなくてもいいです
ちょっとしたお手伝いや些細な気持ちで十分です

それを繰り返すうちに、誰かにとって「どうしても必用な人」に変わっていきます

大切なのは隠匿

隠匿というのは、見返りや評価を求めずに、誰も見ていないところで徳を積むことです
徳を積むというのはいいことをするといった事です

見返りや評価を考えながらいいことをしてもそれは打算に終ります
更に見返りや評価がなかったらがっかりしたり怒ったりします

隠匿はそんなレベルのものではありません

「誰も見ていない場所でさっとゴミを拾う」

そういった何でもないことです
誰からも見返りや評価を得ることはありません

しかし、自分がゴミに気付きそれを拾うだけで、同じ場所を通った人は快適に過ごせます

所謂自分にとってなんのメリットもないことに感じます

実際にやってみると分かりますが、それは案外心地の良いものです
その時点で自分自身は心地よさを受け取りそれで満足出来ます
更には心の余裕も感じられます

こういった隠匿は運のポイントとしてたまっていきます

もし今がついていない時期だったとしても、当然逆の時期もやってきます

何もしていなければ10万円の臨時収入があるようなタイミングで、隠匿はポイントとして加算され、100万円貰えるようなことに変わります
分かりやすいようにお金で換算しましたが、世の中の価値はお金だけではありません

人脈であったり、心の安定であったり、健康であったり様々な事が価値としてあります

隠匿は「その時」の為の貯金だと考えてためておけば良いのではないかと思います

必用とされたいと感じながら、隠匿を重ねていくと、1人に必用とされるタイミングが来た時、100人に必用とされる人になるかも知れないのです

人は目の前の評価や、他人との比較に振り回されますが、そんなものは短いスパンでの事です
たまには見えない誰かの為に、評価も得もないけども、さらっといいことでポイントを着実にためていっても良いのではないでしょうか?

本当に誰からも必用とされていなかったとして

単なる寂しさや、欲求から来るものではなく、説明出来ないような「自分は誰からも必用とされていない」をまだ抱えているとします

ひとつだけ言えることがあります

この記事を見つけ、こんなところまで読んでくれるあなたは、私にとってとても必用な人だと言うことです

世の中には星の数ほどコンテンツがあります
見つけるだけでも困難で、それは人と人の出会いくらい奇跡です
更にはこんなところまで読む人は稀です

読んでもらう事は私にとって原動力となり生きる糧になります
それはとても必用な事です

叶えてくれたあなたを必用と思わないなんてあり得ません

10年後や100年後に発見したとしても変わりません

どんなに「自分は誰からも必用とされていない」と感じていたとしても、私にとってただ存在するだけでなく、とても必要で尊い存在です
そのことを、どうか忘れないでください

世界の誰かの役に立てば幸いです

読んでくれてありがとう

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