最近の日本では若者のコミュニケーション能力や、読解力が落ちていると言われています
インターネットや、ゲームの世界の言葉や若者独特の言葉だけを使いコミュニケーションをとる事や、若者にありがちな「それが恰好いい」といった事が理由であるとも考えられます

若者言葉はあってもいい

どの時代においても若い世代独特の言い回しはあります
誰しもそういった時代を経験していると思います
それは成長の過程であり悪いことではないと感じます

自分たちは他とは違うのだといった優越感や、子供のコミュニティにおいては楽しいことだとも思います

ネット言葉で失うものは案外大きい

子供達に使われる言葉

ウケる(面白い)がメインだが馬鹿にするような時にも使われる
ちょー(とても)
うざい(鬱陶しい)
は?(なんだよといったニュアンス)
マジ(まじめな話)そう真面目な話ではない
死ねばいいのに(命令系ではなく排除したいニュアンス)
Wまたは草(笑う)馬鹿にするようなニュアンスで使われていることも多い
ヤバい(まずい状況)本来ある言葉だが使う用途が多く意図がはっきりしない

勿論これだけではありませんし詳細な説明は割愛します

会話例

この間の映画 ちょー やばかったんだけど

マジ ヤバい よね

主人公がやられるとかW

ウケる んですけど つか そこ草ポイント?

は?

マジ ムカつく 死ねばいいのに

敢えて翻訳

この間の映画とても面白かったよね

ほんと面白すぎたよ

主人公がやられてしまう展開って意外だった

分かる気がするけどそこが面白かったポイントなの?

え?あなたは違うの?

私と意見が違うなんてなんでよ

みたいな感じになるかと思います

こういった自分たち世代しか分からない物を共有するのは、楽しい部分でもあります
ある意味専門用語だけで盛り上がる人達にも共通する喜びかも知れません

専門知識がない若者は、その喜びを疑似体験しているのだと思います

言葉は武器である

言葉は強力な武器だとよく言われます
日本には言魂といった言葉すらあり、言葉に魂が宿るとも言われます

使い方によって大きな効果を得たり、逆に大きな損失をこうむったりします
それは誰しも理解していることではないかと思います

ネット言葉で失うもの

ネット言葉だけを使うことで失っていくものは沢山あります
代表的なものに語彙力があげられますが少し掘り下げてみます

言いたいことが伝えられなくなる

ネット言葉で失うものは案外大きい


ネット言葉というか若者言葉は同じレベルのコミュニティでは成り立ちます
先ほどの会話例の様になんとなくは伝わります
正確にいうと伝わったかの様に感じられます

使える武器(言葉)が少ないので正確に表現は出来ません
「この間の映画 ちょー やばかったんだけど」
こういった表現には最高か最低のどちらかしかありません

面白かったとしても、具体的にどの部分が、どのように面白かったのかを表現していないからです

デジタル社会なので0か1 若しくは 良い悪いで区別されがちですが、世の中の大半はグレーです
いい部分もあれば悪い部分もあり、総合的に見て判断され成り立っています

対人関係でも同様で、好きか嫌いだけの極端な判断をしてしまいます
心から愛したい人が出てきて想いを伝えたくても「好き」といった言葉しか使うことが出来ません
面白かったと同様、具体性がないので相手に想いを伝えたくても説得力はありません

恋愛だけではなく、ビジネスにおいてもその他の喜怒哀楽についても曖昧な言葉しか使えません
自分の想いを伝えたくても言葉に出来ないのは苦しいものです
恐らくその時になって気づくのだと思います

自分も分かっていない

ネット言葉で失うものは案外大きい


伝えたい事が分かっている場合はまだましだと思います
それに対する言葉を知っていけばいいからです

しかし内容を自分でも理解していないケースが多々あります

「この間の映画 ちょー やばかったんだけど」

面白かったとしても、具体的にどの部分が、どのように面白かったのかを表現していないだけではなく、自分でも分かっていないのです
面白かったといった事を伝えたいのに、言語化するどころか、何が面白いと感じたのかが具体的に分からずに、雰囲気だけで話します

その場ではなんとなく伝わるかも知れませんが、肝心の自分自身が、何をどう感じたのかが理解出来ない状態が加速します

誤解を生む

ネット言葉で失うものは案外大きい


言葉が少ないと的確に表現出来ないため誤解を生みます

「ウケる んですけど つか そこ草ポイント?」

これを「あなたは面白い見方をするね そういった意見は参考になるよ」
そんな気持ちで発していたとしても、伝わり方はそれぞれです
相手によったら ウケる で馬鹿にされ笑われたと感じ悪い印象を与えます

こちらは好意で発した言葉が馬鹿にした表現に変わります
受け止め方は相手次第ですが正確さに欠けるので、誤解を生むことが多々あります
やがてその誤解は、人間関係の悪化へとつながっていきます

コミュニケーション障害

最近の日本ではコミュ障(コミュニケーション障害)をひとつのキャラとして打ち出す傾向があります
本当の障害であるならば、なおしていくしかないと思いますが、どこかそれを真似て、いいことだと勘違いしている人もいるのではと思います

人気キャラがコミュ障として情報発信をしているのは、戦略として面白いかもしれません
それは本当にコミュニケーションが苦手な層(ネットメインでコミュニケーションを取る人)には共感を得やすいからです

しかしコミュ障をキャラにして情報発信をしている人は、本当にコミュニケーション障害でしょうか?

人気が出るほど仕事などに結びつき、いやでもコミュニケーションを取る必要が出てきます

ビジネスにおいて正確に伝えられない事は致命的です
苦手といった意識はあってもいいと思いますが、障害とよべるレベルならコミュニケーション意外の別の要素で、大きな魅力がないとビジネスパートナーは見つからないでしょう

会ったこともないのに、キャラに影響されて、そのキャラがその人だと勘違いしている人も多いのではないでしょうか?

解決策が見いだせない

ネット言葉で失うものは案外大きい


困った状況になっても、言葉や、そもそもの自分の想いが分からないので表現できません
表現出来るのは結果だけです

「やりたくない」

それに対して周りが原因を探り、いい方法はないか提案したくても、なぜやりたくないと感じているのかといった、具体的な事が分からなければ手のうちようがありません

助けたくても助けられない状況に陥ります
具体性の欠けた会話だけで成り立つ世界の人達は、相談してもいい答えは返ってこないでしょう

「やりたくない」

「じゃやめれば」

これで終わりです

困難な状況は誰にでもやってきます
そういった時に助けてくれようとする人も沢山います
しかし自分自身が伝える手段を持っていないと、困難の中にとどまることになります

通用するのは若いうちだけ

冒頭にも述べましたが、若者言葉やネット言葉はあってもいいです
しかしそれが通用するのは子供のうちだけです
驚くことに稀に大人がそれについていこうと必死になっていますが、若いと思われたいのでしょうか?
それは若いといった部分の強調より、幼稚さの強調となります

どうせなら何かの専門分野で専門家しか分からない言葉で、深い話が出来るような自分になった方がいいのではないかと思います

大人になると嫌でも適切なコミュニケーションを取る必要があります
それが出来ないとしんどい思いをすることになります

特に誤解を生む部分は影響が大きくなります

悪い部分だけではなくチャンスや何かを貰うといったメリットの部分でも損をします
大きなチャンスを与えられたとき、


「人生で今日が一番嬉しい日になりました。あなたのおかげです。この気持ちを例えるなら。。」と話せる人と。


「ちょー嬉しいです」だけで終る人には、その後にやってくるチャンスや貰うものの数が変わってきます

言葉は武器と言いましたが、誰かを攻撃したりするだけではなく、そういったメリットを得るための道具といった意味の武器でもあります

「死ね」は自分を殺す

ネット言葉で失うものは案外大きい


ゲームやアニメの影響で簡単に「死ね」といった言葉を使います
子供ならそういった時期もあるでしょう

しかし今の日本では一部の大人も使います
本来の命令系の意味ではなかったとしても、ネガティブな言葉としてはエネルギーが大きいです

最大限にけなす言葉だとした場合、これも表現力がないといった事になります

大人になって「死ね」と言われたら、なぜ死ななければならないのか、なぜあなたに言われなければならないのかといった、ごく当たり前な質問をするでしょう

子供はそれに答えられません
そもそも死についてよく理解していないからです

大人が同じことを言っていたとしたら、「他人にそんな事を命令する権利はない」といったことすら理解していないのだろうかと思われます

表現力の低さや幼稚さを強烈にアピールしている状況です
そして全ては自分に返ってきます

誰かに対し「死ね」という言葉を頻繁に使う人は、自分がネガティブになった時、自分に対して使います

「こんな自分なんて死ねばいい」

「こんな自分は必要ない」

「こんな自分はいない方がいい」

そんな思考に陥って自殺したりします

使う武器は変わりません
武器の矛先が変わります

自殺までいかなくても、ネガティブな言葉は自分の精神状態にも影響を及ぼします
「死ね」といった言葉を乱用する人と「ありがとう」といった言葉を多用する人では、人生は違うものになります

逮捕された元国会議員

日本には一時芸能人のスキャンダルをネタにして国会議員にまでなり、逮捕された人がいます
一部の人が支持をして注目を集めました
結局逮捕され今では話題にのぼることもありません

その人が持っていたのは、コミュニケーションスキルだと思っています

何かの成果を上げているとか、特別な資格があるとかではないにも関わらず、逮捕される寸前までドバイに住んでいました
そこには多数の支持者がいたのでしょう

普通の日本人がドバイに住むとか旅行に行くにしても結構なお金が必用です
また日本では選挙でもお金が必用です

言い方は悪いかも知れませんが、大したスキルのない人が、逮捕まではいい暮らしをしていました
疑問を持つ人もいたかも知れませんが、理由はコミュニケーションスキルの高さだと思います

人それぞれ持ち合わせるスキルがあります
お金を稼ぐスキルだったり、何かの技術だったりしますが、コミュニケーションスキルは最も簡単に人生を変えることが出来ます

それは自分の頑張りだけではなく、他人の頑張りも利用できるからです

本人たちの成長

ネット言葉で失うものは案外大きい


もし若者言葉やネット言葉だけでいいじゃないかと思うなら、それでいいと思います
それは成長段階でありいつか必ず気づく時が来るからです
むしろ今のうちにその世界にどっぷりつかっておいたほうが、飽きるのも、気づくのも早いと思います

いつ気づくかは本人次第ですが、「通用しない」「損をしている」と少し痛い思いをした時に「これではいけない」と心から思えるものです

海外ではアウトプット

海外ではアウトプットにも力を入れられています
日本は遅れているので、子供達の表現力や読解力がまずいかもしれないといったレベルですが、海外はどのようにアウトプットするかを学習します
表現力なども種類があるようです

翻訳ソフトのレベルもどんどんと上がっていき、言語の差がなくなりつつあります
今後差が出るのは、何をどのようにといった中身の部分と、それの表現力や伝え方です

日本語は凄い

外国人が学習する難易度として日本語は難しいレベルに入ります
同じ単語なのにイントネーションが変わるだけで意味が変わる点もあります

この特徴はハングルや中国語にもあると思いますが、日本語は場の空気などもあるので余計に難しくなります

基準となるアルファベットは26文字ですが日本語は50音あります

色を例に取ると分かりやすいですが、赤といった色も、ひとつではなく赤の中にも、浅蘇芳(あさきすおう)や茜色(あかねいろ)など驚くほどの種類があります
今でいうカラーコードと似た感じです

それほど詳細に言葉として表現する力を持っています
正確にいうと持っていた人が多かったということかも知れません

日本には気軽にハグをするような文化がないため、言葉として表現する必要があったのだと思います
日本のアニメが世界で評価されるのは、言語化しにくい細部を表現しているからです

生まれながらにしてそういった言語が身の回りにあるにも関わらず、表現力が乏しくなってひとまとめにするのは勿体ないと感じます

インプットではなくアウトプットを

ネット言葉で失うものは案外大きい


インターネットで知識を得る人は沢山います
勉強熱心で沢山の知識を得る人もいます
インプットするのは良いことですが、アウトプットが少ないように感じます

勉強スタイルにもよりますが、他人にかみ砕いて説明出来るレベルになって、はじめて自分の知識と言えるのではないかと思います
それに必用なのはアウトプットです

難しい日本語を使えるといっただけで、スタート地点をおまけしてもらっているようなものです
無理に本を読まなくてもマンガでも構いません

スマホアプリの短文だけの世界で終らずに、様々な表現に触れるだけで表現する種類が増えます
増えた種類を実際に使ってみるアウトプットをすることで、簡単に表現力は上がります
対人が苦手だったとしても、こんな風に文章で表現したり、音声で表現したり様々な手段があります

少なくとも自分の言いたいことは伝えられますし、もっと大切な、「何をどう」といった部分も自分の中で理解出来るようになっていきます

伝えたいことを言語化出来、的確に伝えられると、人生が豊かになります
逆だとストレスにしかなりません

全ては自分に返ってくる

言葉だけではなく行動も全て、いつかは自分に返ってきます
昔からあらゆる形で言われている事です

因果応報(いんがおうほう)とも言われる仏教用語もあります。
良いことをすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことが返ってくるといった意味合いです

原因があって結果があるといったシンプルなことですが、仏教だけではなく、スピリチュアルなどでも形を変えて言われています

嫌な言葉を発し、貶める行動を取る人
感謝の言葉を発し、誰かの為にも行動する人

どちらも周りには似たような人が現れ、自分も体験として受け取ります

様々な言葉を使ってもいいのだから、自分にメリットのある使い方をしてもいいのではないかと思います

この世界が奪い合う世界ではなく
気持ちよく与えあう世界になればいいと思います

読んでくれて有難う

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