自分軸で生きると迷惑をかけてしまうのではないか
自己中と思われるのではないか、そんな情報がやたら多いので、これからの事も踏まえてコラム的に書いてみます
一言でいうと「自分を大切にする生き方」と言えると思います
具体的には他人の評価や考えに左右されず「自分はどう思うか」を重要視するものだと思います
自分はどう思うかを尊重すると、他人に迷惑をかけてしまうのではという人がいるようですが、それこそが他人軸だと思います
・自分はAが食べたい
・皆はBだと言っている
こういった場合、自分はAなのだから皆もAにしろと、強制したり、説得するようなものは、わがままや自己中になるかもしれません
しかし「皆はBだと言っているけど、私はAが食べたいな」と主張するのは悪いことでしょうか?
中には同調して「Bだと言っていたけど、ほんとは私もAが食べたいのよね」といった意見も出るかもしれません
よく自分軸は迷惑やわがまま、自己中などと言われたりしますが、ちゃんと自分軸で生きている人は
・きちんと自分の意見や考えがある
・他人に押し付けない
そういった部分があるので迷惑やわがまま、自己中などとは異なります
どちらかと言えば他人軸で生きている人の方が、自分の考えがないので、
「みんながBだと言っているのだからBにすべき」
そんな風に迷惑やわがまま、自己中な方へ走りがちなのではないでしょうか?
みんながBと言ってるのだから空気読みなさいよ!
他人からの評価や、周りの意見だけを尊重して生きていると、しんどくなります
「自分はどうしたいのか」を出さずに、周りに流されるのが協調性のように勘違いされますが、もし相手がお互いの意見を尊重したいタイプだとしたらどうでしょうか?
私はAを食べたいと思っている
「あなたはどうなの?」
そんな時、自分の軸がない人は「私もAでいいよ」と答えます
これが彼氏彼女などパートナーとして
相手を喜ばせたい
相手の意見を尊重したい
そんな風に感じて質問していたとしたら
喜ぶ笑顔が見たくて欲しいものを尋ねたのに
「なんでもいい」と言われたのと似たことになります
折角喜ばせたいと思っているのに、主張すらしてくれないのは、見方によったら
「私は何も考えないし何もしません、あんたが頑張って想像して」
当たれば喜ぶかもしれないから
そんな風になり、逆に迷惑やわがまま、自己中と取られても仕方がなくなってくるのではないでしょうか?
嬉しくないわ ちゃんと想像してよね!
知っていると思いますが簡単に説明します
自分軸:自分が楽しいかどうかや、自分がやりたいと思っているかを重視する
他人軸:評価されるかや世間体を重視する
ちょっと解説すると少し前までは(昭和?)他人軸の方が必要だったと思います
いい学校を出て、いい会社に入り、いいねと言われる
そんな事が価値でした
楽しみですらゴルフをやるのはステータスが高いからやる
そういった事が尊重されたり、高級なモノを所有しているなどが価値でした
バブルを経験した世代はそうですよね
車を所有どころか免許を持たない世代も多く、維持費が無駄なのでシェアが盛んに行われ、様々なサービスが次々と出てきています
車だけではなく家具などもそうですし、サブスクも少し前まではCDやDVDなどのメディアを所有していましたが、今はサーバーにあり手元にありません
楽しみにおいても
「自分が楽しいかどうか」を尊重する自分軸の人は人生を楽しんでいますが
「どう評価されるか」を尊重する人は苦しんでいます
ある意味当たり前で、自分がしたいことを自分に我慢させて
特にやりたくないことをやるので苦しいといったサインが出ます
背負っていたら凄いと言われるかな?
自分軸:過去の自分はここまで出来たから、次はこうしてみようなどといった、自分独自の目標がある
他人軸:誰かと比較してそれを超えるとか、どんな評価がされるかを気にして目標にする
例えば自分軸の人がピアノにチャレンジをしたとします
昨日簡単な曲が弾けてうれしかったので、次はちょっと難しいものにチャレンジしてみよう
そこに他人は存在しません
あくまで自分が楽しいかどうかです
他人軸の人の場合簡単な曲を頑張ってマスターしたとしても
この程度を弾けて喜んでいるなんて笑われるかも
難しいのにチャレンジして失敗したらなんて言われるだろう
そこには「他人 しか いません」
自分はどうでも良くて、他人がどう評価するかしかなのです
割と他人事のように思う人も多いかもしれませんが、協調性といった言葉をはき違えて苦しんでいる人は多いです
いいねの数が少なかったら笑われるかもしれないからチャレンジもしない
誰もやっていないのに自分だけやったら変な人と思われるかもしれない
みんなと違う意見を言ったらたたかれるかもしれない
その結果何も楽しむことなく、ずっと他人に合わせてしんどい生き方をします
教育にも一端はあるかと思います
みんなと同じが良くできた生徒で、そうじゃないものは不良みたいな部分です
国語の授業などで「作者の意図する事は」みたいな問題があったとき、日本ではある程度の答えがあったりします
アメリカなどでは個人の考えがすべて正解です
そもそも作者の意図なんて作者に聞かない限り先生個人の見解です
数学と違い国語なんて書き間違い以外正解だと思うのですが、「自分はどう思うか」を押し殺す勉強をしていると思います
答えがあり自分の考えと違ったら間違いになり成績が下がるからです
理論武装して論破したなどと喜んでいますが、「で、あなたはどうしたいの?」や「では、あなたの体験を教えて」というだけで黙り込む人も少なくありません
今は経験をする機会を、他人軸になることやネットで調べて「自分で考えたつもり」になれることで失っていると思います
ネットの環境が整い、どんなに貧乏な人でもスマホを所有している環境もあると思います
日本以外の貧乏はスマホを持つどころか、明日食べるものもありません
もう何年も前から自分軸といった言葉が出るようになっています
年代にもよるのでどちらが正しいとかそういったものではありません
また自分軸で生きたいけど、どうしたらいいのか分からないといった人も多いです
なぜこんな記事を書いているかというと、SNSの状況が変わりつつあるからです
Youtubeのバッドボタンの数が表示されなくなり何年も立ちますが、Twitter(X)も仕様変更が続き、どうもイーロンマスク氏は「返信・リポスト・いいね」の数を非表示にしようとしているようです
今まで自分軸がなく、他人軸でSNSからの情報で自分を保ってきた人は、良いか悪いかや、評価の基準となる「返信・リポスト・いいね」の数が表示されないととても困ると思います
その内容がいいものなのかや、評価されているものなのか、分からないといった状態になるからです
今までは数を見て多ければ「そうだそうだ」と自分も乗っかれましたが、段々とそうもいかなくなってきています
分かりやすいのでTwitter(X)をあげましたが、その他のメディアも同様で、段々と数だけを重視しない仕様変更やプラットフォームが増えつつあります
またアフィリエイトをやっている人なら知っていると思いますが、ステマ規制法も実施されました
本当ならインフルエンサーがいいと言おうが、最終的には自分で判断すれば、宣伝だろうが案件だろうが関係ないはずなのですが、発信者側が分かるように提示しなければなりません
それだけ自分の基準で決められない人が多いといった事だと思います
言い方は悪いですが関西だと「ほな、その人が死ねゆーたらあんたも死ぬんか!」と同レベルだと思っています
それくらい自分で考えたり、自分はどうかを置き去りにして、周りはどうかだけを気にして生きて疲れてしまう
「他人しか大事にしない人」が多いのだと思います
SNSの話もそうですが、数の非表示的な事が起こった場合、問われるのは「で、あなたはどうなの?」の部分です
そのツイート(ポスト)を見ていいと感じたのか、広めたいと思って広めたのかを、自分で判断しないといけなくなります
時代がどんどんと動いていき価値もどんどんとシフトしています
結婚相談所のデータですら、いくら稼ぐ人といった項目より、何を大事にして生きているかといった価値観が重視されているようです
自分軸に関するこの記事を読むような方なので大丈夫だと思いますが、他人はどうかだけで生きて、自分を大切にしない人に魅力はなくなっていきます
AIの進化も早くデジタルの進化は日進月歩です
何かの数値に合わせて適当なものを作るレベルの人は居場所を失っていっています
評価やレビューですらAIに書かせる時代です
そのうちそれすら胡散臭いものや、価値のないものとして扱われたり、非表示があるかもしれません
そういった時、「自分がどう感じるか」を重視した生き方を模索していないと路頭に迷うでしょう
そしてその違いを尊重する時代に急速に進んでいると思います
私は赤色、あなたは青色 どっちもいいねといった時代です
私は赤色、あなたは?と聞かれてあなたが赤色なので多分私も赤色かもしれません
そんな風にならないよう
評価や世間体に左右されないような「自分が喜んでいるかどうか」を重視するのもいいと思います
それが結局の所「自分を大切にする」につながるのだと思います
ちょっとこの時代こんな話題があって、自分はこう感じて、こんな感じに伝えたよといった記録を残しておきたかったので、ブログ記事としてアップしておきます
気が向いたらもう少し細かくしてメルマガとかしようかなぁ
知らんけど