きれい
今日、仕事の帰りに、トイレと一服する為に途中で寄る公園があるんやけど、少しの時間、ぼーっとベンチに座って、高架走ってる電車を眺めてた。
通勤帰りの人達が沢山乗ってる電車を見ながら、昔ってあんまりいい気持ちはしなかったのね?
で、酷い時は、自分勝手に、人の迷惑すら考えずに、もし、線路に自分が居たら。。なんてアホな事考えてた頃を思い出した。
痛いとか感じるんかなぁ?とかその後どうなるんだろう?とか、つまらんことを考えてた時期。。
人間って追い込まれると、何をどう考え、しでかすか分からないもんやね?
そんな人間も色々見てきたし、超えてはいけない一線を越えてしまった奴らもおる。
今の状況が良かろうが悪かろうが、日本人の大好きな「普通」だろうが、同じ状況ってずっとは続かないのにね?
勝手に明日も生きてて、同じ様に生活出来るって「想像」しとる。
そんな保証、どこにもないのに不思議やな。
幼稚園児位の女の子が、「ママ!」「ママ!」って言いだして、何だろう?って思ったら、俺の後ろを指さしてる。
それを見た、お母さんが、「うん、きれいね!」って答えた。
2人の中では、以心伝心なんだろうなぁ、何となく振り返ると、凄く綺麗な夕焼けがあった。
俺も子供の頃、同じように素直に綺麗って感じて、それを嬉しく思って、誰かに伝えたい!とか思ったりしたのかなぁ?
夕方から夜になるその「瞬間」綺麗だなと思うと同時に、地球がいかに早く回ってるのかとか、この綺麗な時間ってホント短いよなとか感じたりする。
そして、明日も見れるって、勝手に「想像」してる。
そんな保証、どこにもないのに不思議やな。
世界にはまだまだ想像を絶する程、綺麗な景色や、綺麗!って思わず口に出してしまう様な事って沢山あって、その大部分を知らずに人生終わってしまうと思ったらもったいなくて仕方ない。
ネットが発達した今で、いくらグーグルアースとかを使って、世界中のあらゆる景色とかが見れるとしても、やっぱり「綺麗を感じる」ってそんなに体験出来るもんじゃないもんね?
でも、その「綺麗」は、ホントは、何気ない日常の中にも沢山あって、気が付かなかったり、いつからか「当たり前」になってしまって、「綺麗を感じる」事が出来なくなってるだけなのかもしれないね?
公園の女の子に、色々と気づかせてもらった気がする。
一線を越えたり、判断を誤らなくてよかったー
「生きてて良かったー」
ここまで読んでくれてありがとう!
あなたに出会えた事に感謝!