プロフィール関連


過去にはページわけしてましたが 現在は一括しております。
一ページごとに水平線が引かれてます。

いわゆる 大阪のおっちゃん        

30プラス ?歳

のみに行くと25歳 見た目も 自称25歳

しかし わりと通用するんやなぁ これが・・・

 

生まれは京都 育ちは四国               

大阪に住み着いてはや ?年

まぁ いろんな仕事したわなぁ

外資系の旅行会社から 露天のおっさんまで 様々やわ

しかし 振り返って これで ええねん 思ってる

同じような 境遇の人 俺以上の人 また これからの人 

いろんな人 おるけど 参考になったり 

友達なったり 出来たらええなぁ

 

まぁ しかし このページ 見てる あ な た!! 

類は友を呼ぶってこと お忘れなく・・・・・・・・


ここからは 余程ちんねんに興味が出てきた人のみです。

かなり昔の話やし うちわの話なので 見ても 何の役にも立ちません m(__)m

今 既に ちんねんのイメージが出来てる人も 見るべきじゃ ないような 気がします。

でも 何となく 書く必要が あるような気がして 書いてみました。

ただ それだけなので 気にしないください。


誕生から幼少時代

俺は今から 30+○年前 京都で生まれた

ちんねん家(仮名)の初の子供で 母親方では 初孫の存在

後にも書くけど 母親方には特に大事にされ ちやほやされて育った

 

生まれて少しして 父親の仕事の関係で 四国に移り住む

父親は それによって 若くして出世 人を使う立場になる

 

長男と言われるだけあって 凄く大事に育てられる

2年後 弟誕生

父親は宗教大反対者なのに 地元でいいと 言われるだけで カトリック系の幼稚園に入園

 

その頃から みんなと一緒が凄く 嫌で 溶け込めない存在

楽しいと思った事は 記憶にない

 

性格はいたっておとなしく びっくりするくらい消極的で 存在感なし

でも 一年に一回は 頭を縫う怪我を してる(三年保育やったから 最低3回)

 

卒園の時 みんなが泣くのが 信じられなかったし 不思議で仕方なかった

やっと 開放されるのになんで?

でも そこには みんなに合わせて 嘘泣きしようとしてる 自分がいた

その 光景は 今でも はっきり 思い出せる

 

存在感なしやのに たまに 誰もがびっくりするくらい 大変な事をする子供

そんな 子供

友達は少なく いても 女の子で 親友は TVやった



小学 中学時代

幼稚園から 小学校に行っても 相変わらずやった

授業はいつも上の空

休み時間だけが 息ができる時間

でも 友達と遊ぶのではなく 窓の外の景色を ぼーっと眺めるのが大好きだった

田舎の学校やったから 山とか 空とか・・・ 今でもはっきり思い出せるくらい 毎日 毎 休み時間見てた

 

評価はいつも 真面目 おとなしい の連続

真面目って一体?って思ったけど 母親は 子供に教えるようなことしか 答えてくれなかった(当たり前?)

いまだに 真面目がいいことなのか 悪いことなのか よくわからない

 

低学年のうちは 何もしなくても 勉強は 出来たほう

100点とっても 嬉しくともなんとも なかったし カンニングしたい子が いれば ちゃんと見せてあげた

 

ずっと 別世界にいるような 学校生活やった

あるとき ガリレオの話を勉強したころ 今までにないショックを受けた

それでも地球は動いてるって言い続けて みんなに 馬鹿にされ有罪まで受けた人

 

その話を知ってしまった時 子供ながらに 今自分が 正しいこと 常識として 勉強してることは

本当は 全部嘘じゃないか?って思った

友達にも言ってみたけど 誰も相手にしてくれなかった

自分で確かめもしてない事を 鵜呑みにして 間違った常識を 正しい事として 時間をかけて

勉強しているのでは?って それで すすんで 勉強するのを やめた(しとけばよかった~(>_<))

 

小学3年生の時 両親 離婚

見せないようにしてたけど もう別れるなってのは わかってたし 弟とは一緒ってのもわかってた

でも 子供ながらに 知らないふりをしてた

あるとき 呼ばれて お父さんと お母さん どっちが好き?って聞かれた

 

いつまでたっても 一番嫌な言葉

 

親は気づかなかったけど 自分自身 自分が好きと答えたほうに 弟と一緒に引き取られ

今後の人生を歩まなければならない事は 痛いほどわかってたし 弟まで 巻き込む 人生の

重要な選択を 自分がしなければならない事が 辛かった

家族の運命を 10歳の俺が 決めなければならなかったのが 怖かった

 

でも 親にはばれないように 一人で泣いた

弟に言っても 訳わかってないし 誰も 相談する相手なんて いなかった

今みたいに ネットを使えて 相談できたら どんなにか 楽やったやろ?

 

毎日 毎日 普通の顔しながら 生活して 寝る前 人生の選択に押しつぶされて 布団を握り締め

ばれないように 声を殺して泣いた

そして 母親が好きにも関わらず 弟と 自分の人生のために 経済的なことを考えて お父さんが

好きと答えた

 

母親がいなくなって たいして時間もたってないのに よく知ってる 近所のおばちゃんが家に出入りするようになる

離婚の原因は 親父とその人の 不倫

向こうは 兄 妹 の二人兄弟 

うちとは違い 離れ離れになり 妹が 俺の妹になる

あるとき 父親に 今日から この人を お母さんと呼べ って言われて 素直に?従う

その人は いまでも 俺の母親 妹も 妹

 

中学に入って 剣道を始めて 少しだけ 前向きになっていた

教えてくれた先生を 尊敬してて 剣道で頑張って 警察官になろうかとも 思ってた

しかし 先生が移動して いなくなって 剣道はいつのまにか辞めた

 

こんな暗い自分なのに 不思議と女の子には もてた

でも その時の俺には なんかどうでもいいような 気がして 適当に流してた

 

友達は幼馴染のN君(彼は次男で 父親は死亡)

家は向かい合わせで 二人でよく悪い事?をした

一緒に煙草をすったのも エロ本見たのも 人の倉庫に入ってジュースを勝手に飲んだのも

車上荒らしでお金盗んだり 自動販売機からお金盗んだり 人のうちに勝手に侵入したり

下着泥棒やったり・・・ (今の時代やったら もっと残虐な事とかも やったかもしれない)

全部 一緒やった

いい事も 悪いことも 全部一緒にやって 一緒に成長してきた

お互いが 寂しさを紛らわすように・・・

 

でも 相変わらず 学校の評価は 真面目 やったし 

親は そんな事は 一つも知らない たぶん今も 知らない 

 

この前会った 霊能者にまで あなた 親から何にももらってないね!なんて言われた

表向きは 普通の家族なのに・・・

 

あるとき N君に ふと聞いたことがある

今一番ほしいもんは何?

彼はつぶやくように 答えた 癌のくすり・・・(彼の父は 癌で亡くなった)

彼はその後 大人になって 暴走族を経て 今は救急車にのって人を助ける立場にいる

うらやましい限りや・・・

 

おとなしいから 学校生活の最初はいじめられる事が多かった(今ほど 陰湿じゃないけど)

でも 両親が離婚してから 気がついたら 気が会う仲間って 家庭に問題のあるやつばっかりやった

類は友を呼ぶ やろか?

だいたい そうゆう奴は 悪い奴 多いから 仲良くする事で いじめられる事はなかったし

何かと気が合った

もし 何かあっても 必ず みんな 守ってくれた

今思うと 表面的には 違っても みんな 心に持ってるものは 同じだったのかも しれない


高校時代


僕の入った高校は 今はどうか知らんけど レベル低い

本当は 今までみたいな 子供相手の 学校にこれ以上進むのが 嫌で 定時制に行きたいと

思ってた が 当然却下

地元の公立に進む

男子校を経験してみたくて 工業高校を選んだ

友達の兄が行ってて 男ばっかりで楽しい 勉強しなくても 成績上のほうやし 学生生活は 充実

してるから 是非おいでって言われて いくことにした

定時制に行って 大人に会いたかったくらいやから 学校なんて 行けと言うなら 

楽できて 楽しいとこが一番や

 

でも これがヒットやった!

女の子がいないだけで 今までにない自分が発揮できた

でも 女の子は大好きで しょっちゅうナンパに行ってた

環境によって 人って変わる

 

勉強も一生懸命やったし 面白かった

水に関しての 論文を書いたんやけど 楽しくて仕方なかった

水質試験管になろかなぁ なんて 漠然と思ってた

 

学級委員とか 生徒会とか どんどんやったし気がついたら がらの悪い 応援団にも入ってた

だから いまだに 校歌歌える(T_T)/~~~

 

学校は何故かバンド禁止 でも バンドもやって(3つ位掛け持ちしてた) 生意気にツアーとかもやった

一応ファンクラブもあったりしてさ

 

一緒にやった奴の中の4人はプロを目指し 一人は過去にCMにも出てプロとして活動してた この前

そいつのCDが100円で売られてて ショックやったけど・・・

今はどうしてるか 知らない もう一人は 地元で プロとして 店で歌ってる 

後の二人は よく知らない

みんなで いつか でっかくなって また会おうぜ!なんて 言いながら 気がついたら みんな

こじんまりと おさまってる気がする

まぁ それが 現実なのかも・・・ ただ 終わったわけじゃないから どうなるかわからんけどな!

 

弓道やったのも 高校に入ってから これまた はまって 国体目指してた

高校生は二段までしか なかなか合格させてくれへんのに 一生懸命三段狙ってた

結局 審査員の中で 大もめにもめて もう一回だけ 審査しようって事になって 落とされた

本当は高校生ごときに 三段くれてやると 県の弓道連盟としてのプライドみたいなもんが 許さんらしい

県によっても 基準は 色々あって たとえ 高校生でも 三段くれる 県もある

審査員の中にもおった 恩師や他の先生は激怒してたけどさ

まぁ ええわ

 

ある意味 高校時代に 今の俺の基礎が出来た気がする

その高校選んだのは なんの計算も無く なんとなく やねんけど 

物事は何でも なんとなくが 一番いい結果を生みそうな気がする

 

で そのまま 就職すれば わりと大企業で 研究室かなんかにこもって 実験とかやって

いまより はるかにいい暮らしをしてたかも しれんけど その時は 尾崎 豊にはまってて

俺の夢とか 自由とかに興味があって 何でもええから 家を出ることにした


専門学校時代


四国から 大阪に出てきた訳やけど 親戚に大手の旅行会社の人が おって なんか憧れとか

生きてるうちに もっと色んな世界や 文化 色んな人に出会いたい

そう思って それには旅行会社がいいような気がして 旅行関係の専門学校に入った

 

何で大学でなく 専門学校か?ゆーたら 学費のことが あったから

親は出してやるって ゆーてたけど 親に反発しながら 親に甘えてる自分が 凄い 嫌やったんやろなぁ

 

全てを自分でやるから 好きなように やらしてくれ! そんな感じやった

やっと 自由になった気がした

 

新聞奨学生ちゅーのやった

学費は新聞社が 肩代わりしてくれて 働きながら 返していくねん

住むとこと 食事は提供してくれる

 

でも 来て一番最初に 親に電話した 一言目が だまされたぁ~やったわ!

 

どっか ドラマの中のような一人暮らしを想像してた とこあったんやろなぁ

冷蔵庫開けたら 絶対ビールとか 入ってるような。。。

新聞屋の話は すっごい 面白いから また別で書くわ

 

とにかく全部が 見たこと無いし経験したことのない ことやった ぼろアパートで 初めて同棲とやらも

経験したし 知らない世界も教えてもらった 

そこで いまだに付き合いのある 大事な友達も出来たから よかったと思う

 

俺の場合 添乗員とかよりも ツアーオペレーターちゅーのに興味あってんけど

ようは 現地駐在員みたいなもん

あるとき ニューカレドニアの求人があって 速攻応募した

その国が どこにあるのかさえ知らんのに・・・

で 学校で 英文の履歴書用意しろっていわれて 素直にかいて 持って行った

先生が ふーんって 見ながら ところで フランス語は出来る?って聞かれて 何で?

って聞いたら

いや 向こう全部フランス語やから・・・って

勉強したら喋れるはずって 思って 今は少しですが 勉強中なので 近いうちに

日常会話くらいは いけると思います なんて ゆーてた 俺が信じられへんわ

 

行く気満々やったのに 急に学校から ストップがかかってん

中途採用やから 学校で退学者が出る 退学者が出ると 次の募集で困るから 今回はあきらめて!やて

シンガポール駐在の話が そのうち来るから それまでまってくれって説得されて 俺も フランス語より

英語のほうが ちょっと楽かもって思って やめてん

でも いまだに いかへんかったことを 後悔してるかも・・・

 

学校は 二年やったんやけど 勉強しに行ったってより 友達作りに行った みたいな感じやわ

高い学費は それににあった友達を用意 してくれたけどね!


旅行会社時代


さっきの続きやねんけど その年に限って 駐在の話は一個も こんかってん

で 学校からの紹介で 駐在じゃないけど 日本支店みたいのあるから 受けたら?

言われて そうするしか なかったから 受けにいってん

 

小さい会社やけど 本国では大手の会社

でも 一人募集って言われて 俺と もう一人 希望者がおってん

負けたらあかん思って 時間より早く行って 面接したら えらい 気に入ってくれて 即採用

握手して じゃぁ 明日何時に出社してね!って感じやってん

でも 夜になって その会社の先輩から 悪い!所長が 次来た奴 採る言い出しよってん!

すまん!同じ大手で 他紹介するから そっちに行ってくれへんか?ときた

 

そんな事があってから 口約束は一切信用せーへん

 

結局 同じような会社に入ったんやけど

やることゆーたら つまらん書類の作成と 大手旅行会社への 営業

 

まったく面白くなかったわ

 

毎日 これでえーんやろか?って自問自答して ごまかす為に 自分から 残業とかして

考えんようにしてた

周りから 昔のお前じゃない 大丈夫かほんま!とか言われ続けても がんばらなあかん!

の気持ちが 先にたって 気づいたら 10キロ近く痩せてた

 

営業に出たら 外の空気吸えるから 嬉しかったけど ある時 所長が ついて来てることに気づいてん

まるで ストーカーのように。。。

 

それで 俺が回った 営業先に出向いて どんな話したやの どこで どんな事してたやの

嗅ぎまわりよんねん!

おまけに 俺が提案して進めてる話を さも 自分が始めたかのように 横取りしよる!

 

どないやねん!

 

それでも がんばらな!思って 我慢して 俺が所長になって あいつを追い出してやる!って

思ってた うわべでは所長!!(●^o^●) なんて言いながらさ (こわぁ~(>_<))

 

でも ある時 得意先の大手の 旅行会社に出向いた時 なぁ なぁ この見積もり ほんまにこの

金額でええの?って言われて びっくり!

桁ちゃうやん!

そこには 所長が営業行って どう見ても 所長の作った書類やったから 得意先で謝って

大急ぎで 報告してん!

所長大変です この書類桁違います 

一応謝って来ましたけど どう対処しましょ!

そしたら 所長は 一言

 

これ 君が作った書類やん!

 

ん?

 

ちんねんフリーズ 再起動不可・・・

周りのみんなもフリーズ(どっからどう見ても 所長 作 やのに~(>_<))

 

人間って怒りの度合いを越すと ほんま 笑うね!

へへへへへぇ~

本当の怒りの表現の前ぶれ・・・

 

今まで抑えてた感情やの 努力してきたことやの おとなしい おりこうさんの自分やのが

全部吹っ飛んだわ

 

次の瞬間 今まで見せたことのない顔で 机けって やめたらぁ~!!ゆーてた・・・

もちろん そのまま帰社

 

その後 その先輩と何回か 家まで 謝りにきてたけど 無視!!

聞いたら 本社の常務 (ほんまに尊敬できて 俺のこと 大事にしてくれた人)に かなり

絞られたらしい

ざまーみろっ!(>_<)

 

戻る気全然ないから そのまま辞めたった(ほんまは ちゃんとせなあかんけどね!)

そして 少しずつ 自分を取り戻していった・・・ てゆーか もっと過激やったかも・・・(>_<)

この後の事は いろんな転職 して 色んな世界入って 色々あった

今は まだ 書けない

○秘情報が 進んでないのも ちと関係あるけど もう少し 時間が欲しいって感じかな

でも 必ず書くから 待っててな!(^_-)-☆

とりあえず 生い立ちちゅーことで ひとくぎり (^_-)-☆


その後について

その後は 簡単に書くわな!(ちと長いで)

なんせ 色々やったから 詳しく書いてたら 読むのもしんどいやろ?

まず 旅行会社辞めてからは 教材の営業やりながら 夜は コンビニのバイトやってた

教材は凄い怪しげな会社!テレアポが 主な仕事やったかなぁ

でも ここでは 係長に気に入られて(仕事内容は別ページに書くね!) 凄いよくしてもらった

 

ただ 胡散臭いだけ あって 給料は一銭ももらってない

はっきりゆーて 騙された会社やった 俺のほかにも 10人くらいは騙されてる

しかも 騙してる支店長ってのが 坊さんあがりやて!どないやねん!

 

だから 口約束は信用せーへん

コンビニの店長の知り合いの先生とかも協力してくれたけど 就業規則の提示がなく なんともならんかったんと

俺自身 恨み全開で 合法的に何かしてやろうって気すら なかった

(後でちゃんと お礼はしたよ!(^_^))

 

あの時の連中は皆 泣き寝入りや!

ただ 営業トークに関しては 凄い色んなこと教えてもらったから(しかも役に立ってる)勉強代やと思ってる

<ちょっと言えない部分ありで2021年削除>

そして 名前が面白いちゅーだけで とある長距離トラックの会社に入る

相変わらずいけいけのままやったから 大阪ー東京の定期便で 緊急便やったけど 東京行くたび

(週3回いってる)に喧嘩してた 

作業服きんと 特攻服着てたように思う

まぁ 回りもやんちゃ坊主だらけやったから そない違和感なかったなぁ

<ちょっと言えない部分あり削除 忘れて 2021年>

首都高では 多分方輪浮いてた(>_<)

別に横転しても ええわ 思ってたもん!

そこの社長は未だに尊敬する

今はまともな会社で大きい会社になってる 

でも 自分で商売したかったから 金がよければ次々転職した

フリーターのごとく 色々やった(給料だけは絶対上がってたよ)

コンビニ 酒屋の配達 居酒屋 串かつ屋 トラックドライバー(長距離 中距離 市内配送。。。)

舗装屋 土建屋 警備員 自営で リフォーム屋 バイクの貿易 電話帳配り う~ん あとも 色々ある

やろうけど 今は 思いだせんなぁ。。。

 

で 何軒目かの 長距離ドライバーの時に 元彼女と出会う

凄い優しい子で (愛情を腐る程受けて育った子で ほのぼのしてた)

つんけんした俺が 何か 飼いならされた猫みたいになった

それで 性格変わったし 極道の世界とも ほぼ 縁が切れた

本気で結婚も考えたが 相手の両親の反対で結婚には至らず

(運送屋てのが 気にいらんらしく 仕事を変えてみた

けど 公務員意外はだめらしい。。。)

 

二人の相性は最高やったのに 別れることになり やけになってた

 

その やけに なってる 時に 嫁と出会う

 

ん?ちんねんさん 既婚者やったん?!

 

そう 思うかも 知れん

そう 嫁も子供もおる

嫁はバツ一で 子供が1歳半くらいやったかなぁ。。

長い事 なんとなく 同棲するようになる 今は小学3年生

そして 2000年の元旦にやっと 正式に籍を入れ 結婚する

 

その後 家族のために一生懸命働いた それは欝になっても 変わらなかった

平日は仕事 仕事 仕事 でほんまに時間がなかった

風呂につかりながら 飯食ってたようなことすら あった

 

休日は家族のために 毎週お出かけ。。。

だから 子供と遊ぶような とこは 関西では殆ど網羅してる

それでHP一個出来るくらい詳しいで!

 

仕事を辞めて 初めて この数年間 自分の時間が 殆どなかったことに気がつく

無茶してたんやろなぁ。。。

 

そして 嫁が妊娠する

しかし 嫁の口から 出た言葉は あまりにもショッキングやった

 

子供出来た でも 今回は生む気も育てる気もない おろす書類にサインして。。。

ん?

何がなんだかわからんかったし 今まで 家族のためにってやってきたことを 批判された気がした

 

表向きは皆がうらやむような いい家族やったのに。。。

嫁とも仲良くやってたし 家事も手伝い 誕生日 記念日には必ずプレゼントし 色んなことに協力した

お互い愛し合ってる そう 勝手に思ってたのかも。。。

 

仕事を辞めたからでは なく 理由はわからない(つわりがしんどかったのかも?)

 

まわりの人全てが本人を説得したが 誰も 本当の理由がわからんまま 

産む 産まないと 意見はころころ変わり 嫁は

つわりがひどく 何も出来ないので それもふまえて 産むなら 全面協力した しかし

今度は説得 毎日の食事 洗濯等の家事いっさい そして 就職活動 子供の相手 学校の事。。。

全て 俺がこなした事 

そして 短期間で意見が変わり そのたびに説得すること そんな 全てに疲れ果て

第2の欝になった

 

最後に説得する気力もなくなり 離婚する覚悟があるなら おろせ! その一言で 全て終わった

 

俺は何の罪もない一人の子供を殺してしまった 守ってやる事が出来なかった

一時間おきに 死んでいく子供の夢をみて 苦しくて 病院に睡眠薬欲しさにいった

とにかく寝たら治ると思ってた

しかし そんな甘いもんじゃなかった

 

本格的な第3の欝。。。

欝はさらに ひどくなり 就職活動も 辞めた

 

そうこうしてるうちに 最初は擦り寄ってきてた嫁も 離婚を迫りだした 

 

今離婚をすると 俺が小学3年生の時に受けた傷を 今度は 自分の息子に受けさせなければならない

その事が 物凄く辛くて 死にたいとも 思った

保険をかけて 車で事故れば せめて 子供に保険金くらいは 残してやれる

そう 思った

 

一人の子供を殺し 一人の子供(自分のことを 無条件に 父親として 接してくれてる 何の罪もない息子)

に 俺が親父から 受けた傷を 同じ歳に 同じ形でつけなければならない。。。

 

そして 欝のまま 仕事を探し 引越しをし 孤独を手にしなければならない。。。

それが 2002年の年末。。。だから 忙しい

 

仕事を失い 欝を手に入れ 友達を失い お金を失い 社会的信用を失い 一人の子供を失い

一人の子供を傷つけ 金に変えるために色んなものを失い 家族を失い 実の親との関係も

いっそう悪くなり 笑いを いや 感情全てを失い 

本当 何もかも 真綿で首を絞めるように 次々失った2002年。。。

くそったれの 2002年。。。

 

多分年明けには 新たなスタートをきってるし HPもどうなるかわからない

 

何が間違ってたのだろう?これから どうなるんだろう?

言葉ではいえない複雑な思いで頭が はちきれそう。。。

 

でも どこかで これでよかったんだ 

これさえ 乗り越えたら 

そう 思ってる

2003年には がらっと人生が変わると信じてる

とりあえず それが 今までの 状況。。。

 

俺は無茶をして とことん 頑張りすぎた

そして 家族 仕事 お金 友達 信用 全て何もかも失った

だから 少しの無理はしても 無茶だけはして欲しくない

それが ちんねんとして また 経験者として 言える事

どうか 心の声 体の悲鳴から 目をそむけないで!!

 

そして みんな 色んな環境 色んな状況で 色々あるけど 後一歩! 

後一歩やから みんなで ゴールしよ!

それが 出来損ないの ちんねんの 願い

 

暫く 孤独と戯れてやるとするかぁ。。。(^_^)

2003年には別人になってるから 期待してね!

読むの疲れたやろ?

おつかれさん!


スーパー銭湯。。。


今日は嫁の体調がかなり悪いみたいで ぐったりしてた

食事も用意したが いらないらしい

とりあえず 本人が病院には行かないというので 寝かせる事に しかし 子供は横で騒がしい

どうしようか?そう 思ったけど スーパー銭湯につれていく事にした

昔は家族でよく行ったのに 最近何処にも出かけないので 凄い 久々やった

しかし よく考えてみると息子と二人きりや!

ここ数日 口も利かないような ぎくしゃくした 関係やったのに 大丈夫やろか?ちらりと不安がよぎる

しかし 車に乗ると何の警戒心もなく 一生懸命話している

ある意味 嬉しそうにも 見え ある意味 間がもたないからとも 見える

どっちにしても 一生懸命喋ってるのは 違いない

 

銭湯につくと 凄く嬉しそうに 手をつないでくる

俺は今後 この手を振り払うより ひどい事をこの子に するんやなぁ。。。

そう思うと いたたまれない。。。

 

でも 風呂に入っている間は 片時も離れることなく 引っ付いてくる

多分 俺がわかってたように 彼なりにわかってるんやろ。。。

そう思うと余計に辛い

 

一緒に乾杯し 少し食べ 帰り道

時計を見たら もう 寝る時間。。 かなり眠たいのに 何いってるのか わからないのに

一生懸命眠い目こすって 起きようとしてる

CDで 倉木 麻衣がかかると あっ!コナンの曲。。。 ふんふふ~ん。。

次に俺が 何か質問した時には もう 限界やったんやろう 返事はなく 眠っていた

 

運転しながら 何故か凄く幸せやった 

子供と一緒に(息子と二人きりは 初めてやったかもしれない。。。)

言葉ではなく 何か通じ合えてる 気がして しかも こんな俺を無条件に信頼してくれて

俺が親父に対して持ってた 壁なんか 微塵もない

無条件。。。

なのに 俺は裏切ろうとしてる ましてや 自分が受けた傷を同じように 同じ歳に同じ形で 背負わそうとしてる

重たい荷物を はい 次お前の番って。。。

そう思うと泣きそうやった でも どうすることも出来ない

 

世の中に 神だの仏だの 霊だの あるなら なんでもいい

この子が 幸せになるなら 俺はホームレスになろうが ずっと欝が続こうが あるいは 短い一生に

なろうが なんでも いい

もし この先 俺に訪れるで あろう ラッキーがあるのなら 全部くれてやる!だから。。。

本気でそう思った

そんな事で罪滅ぼしが 出来るとは思わないけど それで この子が 少しでも 困難に会わずに幸せになるのなら

俺はどうなってもいい 本気でそう思った

そして 今 この瞬間に感謝した

先のことなんて どうでもいい 確実に不幸だの 別れだの 寂しさだの 考えられない位の後悔だの

色んなことが 全て いっぺんに押し寄せて来るのは ほぼ間違いないのに 今 楽しく風呂に入って

一緒に乾杯して 最初で最後になるかも知れない位 楽しんで満足して そして 寝顔を見てる

 

もう 何もいらない。。。

 

それだけで幸せ!神か仏かしらないけど ただ ありがとう。。。

それ以上の言葉は見つからないし 不安も後悔もあるけど 今 この 幸せな時間を与えてくださった事

罪だらけの俺に ほんの一瞬でも こんな 時間を与えてくれた事

それだけで 嬉しかった

 

後は 彼が 俺みたいに悲しみに蓋をし 苦しむような 生き方だけはしないように祈るしかない

何て情けないんやろ?何て人間って無力なんやろ?

 

でも 今日一日を楽しもう 

今日一日幸せやった それでいい

無理にでも そう思う事にしよう!

 

色んな事に ただ ありがとう。。。


もう少し ごそごそ するので 物置へ

飽きたのでTOPへ


ご注意!

このサイト(ちんねん日和)は過去に私が運営していたサイトとなります。
偶々バックアップファイルを見つけてしまったので、現状のサイト 「masapi21」のコンテンツの一部として残してあるものです。
ある程度壊さない範囲でリンク切れ等を修正しておりますが、内容等については出来る限り、当時の記録として保存しております。

あの時から時も経ち「ちんねんさん」も「masapi21」へと変わりました。
宜しければ、現状のサイト「masapi21world」 へもお越し頂けたら幸いです。 https://e8r.net/